設立の趣旨 |
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中村治四郎(明治40年8月26日生、昭和49年11月14日死亡、本籍地福岡県中間市大字中間4526番地)は、昭和26年10月現九州英数学舘を設立、昭和30年12月準学校法人中村英数学園(現学校法人中村産業学園、九州産業大学、九州英数学舘を設置)を独力の私財でもって創立、以来引き続き昭和38年12月学校法人九州中村高等学園(現九州造形短期大学、九州産業大学付属九州高等学校を設置)を設立、昭和39年4月には現学校法人九州電気工学園(現九州電気学校設置)理事長に就任、又昭和42年12月には現学校法人九州産業工学園(現九州産業高校を設置)理事長に就任、昭和49年11月14日死亡するまで、これら法人の理事長、学園長などとしてその任を続け、ひたすら後半生を私学教育事業に力を尽くし、施設の充実を図って子弟の育成につとめ、よく教育の振興に寄与し、まことに公衆の利益を興した。これがため、昭和42年11月、教育功労者として藍綬褒章を授与され、昭和49年11月には産業教育功労者として表彰を、昭和49年11月14日、従四位勲三等旭日綬章を追叙された。 昭和50年2月 |